fbpx

駒商の想い

スタッフ紹介 STAFF

――「国際事業部」のことを教えてください。

開発援助分野で活動する専門家を海外へ派遣する事業を行なう部署です。

派遣された社員は、医療器材の専門家として、海外の政府や医療機関への技術支援、市民参加型事業(JICA海外協力隊)の実施支援を行なっています。

――駒商の新たな一面ですね。拓三さんはどのような仕事をされているのですか?

日本政府が政府開発援助(ODA)の一環として途上国に病院を建てる際には、手術に必要な麻酔器や人工呼吸器、レントゲン装置など、様々な医療機器を供与するんです。

その際に必要な器材の調査や設置(据え付け)、フォローアップ(修理)などを行っています。

また、現地にある国際協力機構(JICA)の在外事務所で、JICA海外協力隊(旧青年海外協力隊)の派遣、活動支援、先方政府との調整を行なう仕事も行なってきました。

これまで訪れた国は、ケニア、グアテマラ、エルサルバドル、キルギス、バングラデシュ、ネパール、ブータン、インド、スリランカなどで、多様な文化・風習の中、様々な人々と一緒にお仕事をさせていただきました。

――急なグローバル展開で、驚かれる読者もいるかもしれまテンね。

そうかもしれませんね(笑)。

ですが、駒商を創業したきっかけも「海外で国際協力に携わりたい」だったんです。

駒商は宝塚という地域に根付いた会社ではあり、世界に向けた事業を行なう会社でもあります。「地域に根付いた会社」が国際協力とどうつながるのか、不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、一昔前に比べ、地方で働く外国人の人数は増加しています。もちろん宝塚も例外ではありません。

私たちは、グローバルな視点を持ちながら地域に根ざして頑張っていきたいと思っているんです。

――国際協力のきっかけとなった出来事を教えてください。

青年海外協力隊の隊員としてケニアの職業訓練校の電気科の講師として派遣されたことです。当時はインターネットもなく、外部との連絡手段は学校の校長室にある固定電話一台だけでした。JICA事務所の日本人スタッフとは無線機を使って連絡を取っていたんですよ。

病気になっても日本のような先進医療を受けることはできず、マラリアなど、熱帯地方特有の命に関わる病気も蔓延していました。いま思えば、日々生きることに精一杯で、人に物を教える余裕など何処にもありませんでした。

その苦い思い出こそが、現在まで続く国際協力への想いにつながっていると確信しています。

――では、駒商はどのような経緯で創業されたのでしょうか?

国際協力機構(JICA)を通じて行う開発援助の仕事は、1回の派遣が、2年から3年間という期限付きの契約で実施されます。

そのため、一旦契約が終了すると、次の仕事が決まるまでの間は身分が保証されないのです。

少しでも長く援助の仕事をやり続けるためには、安定した身分を得る必要がありました。

多くの専門家たちは、開発コンサルタントや人材派遣会社などに所属しています。

私も、この仕事を少しでも長く続けたいと考え、そのための方法として、現在の社長とともに駒商を立ち上げることにしたんです。

――仕事への熱い想いやこだわりが伝わってきます。

皆さんは「国際協力」という言葉にどのような印象を持たれるでしょう。「人助け」「チャリティ」「危険」「難しい」など様々な意見があると思います。

確かに、仕事によっては危険と隣り合わせであったり、コミュニケーションが非常に難しかったり、時間をかけても合意に至らないこともあります。しかし、世界中には飢えや貧困に苦しむ人がまだまだたくさんおり、私たちの力を必要としています。

そんな人達のために一歩前に踏み出すことができる――この仕事に誇りを持っています。

[ スタッフ一覧に戻る ]